※12/18 一部変更・追記
どうも、旦那です。
レイアウトの線路配置がだいたい固まり、
地形と建物の輪郭も「まあ、こんな感じだろう」というところまで見えてきました。
こうなるとですね、
手を動かしたくなる気持ちをグッと抑えて、
一番楽しくて、一番沼な作業に入ります。
そう。
レイアウトのストーリーを考えるやつ。
今日は作業をほぼしていません。
考えていただけです。
路線名を決めてみる
このレイアウトの鉄道、
名前を 「阿佐田興業三洲鉄道線」 としました。
どうです?
なんか急に実在感ありません?
我ながら、
だいぶシブいところ突いたな
と自負しています。
ポイントは、
・会社名っぽい
・地方っぽい
・観光要素ゼロっぽい
この時点で、
「あ、これは明るい路線じゃないな」
というのが伝われば成功です。
調子に乗って社紋まで作ってしまいました。ご査収くださいませ。

コンセプトは「人生の終着駅」
この阿佐田興業三洲鉄道線、
ベースは実在する二つの風景の融合です。
一つ目は、
同和鉱業片上鉄道線。
企業輸送の匂いが濃くて、
でも地域の足としても使われていた、
あの感じ。
もう一つが、
阪堺電気軌道阪堺線の釜ヶ崎付近
あの、一歩足を踏み入れただけでわかる
「あっ、ここは観光地ではないな」
というDeep感。
この二つを特に相談もなく同居させたのが、
阿佐田興業鉄道線です。
阿佐田興業・架空鉄道史(急に始まる)
大正7年。
三洲(みしま)鉱山で産出される硫黄鉱石をはじめとした物資を国鉄線花山口駅まで運ぶため、三洲ー花山口間を三洲軽便鉄道として軽便鉄道の免許取得。
大正15年、三洲鉄道設立。
昭和6年、三洲鉱業(株)が、三洲鉄道を合併。三洲鉱業鉄道事業所に改称。
社紋の3本のヒゲは三洲の三、だったんですね。
昭和23年、鉄道事業部を阿佐田興業(株)に譲渡、阿佐田興業三洲鉄道線に改称。
昭和20年代から40年代にかけて、肥料需要の増大で硫黄鉱石輸送は全盛期を迎えます。
花山口駅周辺には、鉱山労働者向けの木賃宿、のちの簡易宿泊所が集まり、
気付けば繁華街の原型が出来上がっていきます。
この頃、沿線の低湿地エリアに、
軒先を電車がかすめて走るバラックの飲み屋街が誕生します。
昭和50年代になると、762mmのDC機関車が、自社発注のオープンデッキ客車を牽引する通称「ナローのブルートレイン」が名物になります。
そして昭和末期。
貨物輸送はトラックへ転換。
晩年は、赤茶色の錆が浮いた客車が、
昭和の匂いを色濃く残すバラック街を、
ゆっくりと通り抜けていく。
それが、
この路線の最後の象徴的な風景です。
…涙なしでは語れないストーリーできちゃったわこれ。

設定を積むと、模型が急に喋り出す
こういう背景を一度作ってしまうと、
ストラクチャー一つひとつに
「置く理由」が生まれます。
この建物は、
この時代に建ったからこの形なんだな、とか。
この錆び方は、
末期だからだな、とか。
結果、
模型が勝手に語り始める。
これはもう、
最高に良い状態です。
まとめ|ディープで、ちょっと寂しくて、シブい世界。
さて、設定の話はこのあたりで一旦区切りにしておきます。
あまり深追いすると、年表とか作り始めてしまいそうなので。
それはそれで楽しいんですが、
たぶん誰も得しません。
とはいえ、妄想を膨らませておくと、
これから作る地形や建物、
車両一両一両に
「そうなる理由」が生まれてきます。
ただ線路があって、建物が並んでいるだけのレイアウトじゃなくて、
そこにそうなってしまった理由のある街と鉄道。
あー、
楽しい。
また進展あったら書きます。

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どうも、旦那です。
レイアウトの線路配置がだいたい固まり、
地形と建物の輪郭も「まあ、こんな感じだろう」というところまで見えてきました。
こうなるとですね、
手を動かしたくなる気持ちをグッと抑えて、
一番楽しくて、一番沼な作業に入ります。
そう。
レイアウトのストーリーを考えるやつ。
今日は作業をほぼしていません。
考えていただけです。
路線名を決めてみる
このレイアウトの鉄道、
名前を 「阿佐田興業三洲鉄道線」 としました。
どうです?
なんか急に実在感ありません?
我ながら、
だいぶシブいところ突いたな
と自負しています。
ポイントは、
・会社名っぽい
・地方っぽい
・観光要素ゼロっぽい
この時点で、
「あ、これは明るい路線じゃないな」
というのが伝われば成功です。
調子に乗って社紋まで作ってしまいました。ご査収くださいませ。

コンセプトは「人生の終着駅」
この阿佐田興業三洲鉄道線、
ベースは実在する二つの風景の融合です。
一つ目は、
同和鉱業片上鉄道線。
企業輸送の匂いが濃くて、
でも地域の足としても使われていた、
あの感じ。
もう一つが、
阪堺電気軌道阪堺線の釜ヶ崎付近
あの、一歩足を踏み入れただけでわかる
「あっ、ここは観光地ではないな」
というDeep感。
この二つを特に相談もなく同居させたのが、
阿佐田興業鉄道線です。
阿佐田興業・架空鉄道史(急に始まる)
大正7年。
三洲(みしま)鉱山で産出される硫黄鉱石をはじめとした物資を国鉄線花山口駅まで運ぶため、三洲ー花山口間を三洲軽便鉄道として軽便鉄道の免許取得。
大正15年、三洲鉄道設立。
昭和6年、三洲鉱業(株)が、三洲鉄道を合併。三洲鉱業鉄道事業所に改称。
社紋の3本のヒゲは三洲の三、だったんですね。
昭和23年、鉄道事業部を阿佐田興業(株)に譲渡、阿佐田興業三洲鉄道線に改称。
昭和20年代から40年代にかけて、肥料需要の増大で硫黄鉱石輸送は全盛期を迎えます。
花山口駅周辺には、鉱山労働者向けの木賃宿、のちの簡易宿泊所が集まり、
気付けば繁華街の原型が出来上がっていきます。
この頃、沿線の低湿地エリアに、
軒先を電車がかすめて走るバラックの飲み屋街が誕生します。
昭和50年代になると、762mmのDC機関車が、自社発注のオープンデッキ客車を牽引する通称「ナローのブルートレイン」が名物になります。
そして昭和末期。
貨物輸送はトラックへ転換。
晩年は、赤茶色の錆が浮いた客車が、
昭和の匂いを色濃く残すバラック街を、
ゆっくりと通り抜けていく。
それが、
この路線の最後の象徴的な風景です。
…涙なしでは語れないストーリーできちゃったわこれ。

設定を積むと、模型が急に喋り出す
こういう背景を一度作ってしまうと、
ストラクチャー一つひとつに
「置く理由」が生まれます。
この建物は、
この時代に建ったからこの形なんだな、とか。
この錆び方は、
末期だからだな、とか。
結果、
模型が勝手に語り始める。
これはもう、
最高に良い状態です。
まとめ|ディープで、ちょっと寂しくて、シブい世界。
さて、設定の話はこのあたりで一旦区切りにしておきます。
あまり深追いすると、年表とか作り始めてしまいそうなので。
それはそれで楽しいんですが、
たぶん誰も得しません。
とはいえ、妄想を膨らませておくと、
これから作る地形や建物、
車両一両一両に
「そうなる理由」が生まれてきます。
ただ線路があって、建物が並んでいるだけのレイアウトじゃなくて、
そこにそうなってしまった理由のある街と鉄道。
あー、
楽しい。
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